真実はプロパガンダに対抗する最良のワクチンである

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撫順戦犯収容所における洗脳テクニックの正体は?

   

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終戦後、中国共産党に捕らえられた元日本兵が、旧満州にあった撫順収容所などで洗脳教育を受けたという話がある。それが本当に洗脳といえるのかどうかはわからないが、すくなくともそれに近い指導がおこなわれたことは元兵士らの証言からも間違いないようだ。そして驚くのはその洗脳がものの見事に成功したことである。そのことは、いわゆる中帰連の活動が戦後日本の思想界にあたえた影響の大きさをみればうなづけるであろう。

 

 

しかしながら、それが本当の意味での洗脳教育だったのかどうか、わたしにはいまひとつ腑におちないものがある。というのも、当時の中国共産党がそれほど高度な洗脳技術をもっていたとは考えにくいからだ。もちろんソ連共産党から派遣された選りすぐりの知的エリートがうらにいた可能性はあるだろう。しかし、それにしてもしょせん1950年代のことだ。学問的にはようやく原始時代を脱したばかりの当時の心理学の水準から考えても、当時の共産党がそれほど効果的な洗脳プログラムを開発していたとは到底考えられないのである。

 

ところが、その疑問がついさきほど解けた。いやもちろん完全に解けたわけではない。解けたような気がしているだけなのだが…。

 

じつは私はときどき某サイト上で外国人を相手に南京事件に関する論戦を張っているのだが、先日も例によって、はなから日本悪玉説を信じて疑わない外国人(その多くはおそらく中国人と韓国人)を論破するため、しこしことキーボードを打っていた。その際、突然、妙な感覚におそわれたのである。

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「もしかしたら自分が間違っているのかも?」。ふとそんな感覚が頭をよぎったのだ。

 

ちなみに南京事件に対する私のスタンスは、いわゆる中間派である。なので虐殺数ゼロ派ではない。おそらく何百人かあるいは数万人かわからないが、またそれを虐殺と呼んでもいいものかは別にして一定の規模の殺人はあっただろうと思っている。その上で、中国および旧連合国がそれを政治的なプロパガンダに利用していることの不当性にのみ絞って反論を試みているだけである。

 

にも関わらず,突然、本当に突然なのだが、「もしかしたら連中のいうことももっともなのかなあ」という考えが浮かび上がったのである。

 

なぜそんな考えが浮かび上がったのか,頭を冷やして考えてみた。

 

理由はおそらく、連中の「ふてぶてしい態度」である。かれらは,明らかに自分が間違っていても絶対に自分の非を認めようとしない。しかも、悪びれることも一切ない。いわゆる「面の皮が厚い」というやつである。日本人の場合「あれ自分が間違っているかも」と少しでも自信を無くしたら、それが顔に出てしまうものだが、連中の場合,それがまったく出ないのだ。誰がどう見ても自分たちが間違っていて、論理的な反論すらできない状態にあるにも関わらず、まったく悪びれることがない。その上、事実をもとにしたこちらの反証をも一方的に「妄言」として切り捨て、「間違っているのはお前のほうだ」となおも自信たっぷりにたたみかけてくるのだから恐れ入る。

 

最初のうちは、余裕で反論を返していたのだが、いくら論理的に主張しても向こうはまったく動じない。のれんに腕押し、ぬかに釘、こちらがどんなに論理的、客観的、科学的な議論を展開しようともがんとして自分の非を認めない。そんな連中を相手にしているとなんだか、地球人とは異なる別の論理体系をもった宇宙人を相手にしているような気がしてきた。いくら弾を撃ってものらりくらりと立ち上がって襲ってくるゾンビを相手に戦っているような感覚である。

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そうこうしているうちに、ふと「あんなに言っても聞いてくれないというのは、もしかしたら自分の方にも落ち度があるのかも」という気持ちが浮かび上がってきたのである。

 

それに気づいて,いや、いかんいかん、何を考えているのだ、と頭をふってそうした考えを振り払おうとするのだが、一度とりついた考えはなかなか離れようとしない。

 

そこで思い出したのが、例の撫順戦犯収容所でおこなわれていたという日記を使った「洗脳」プログラムである。

 

収容所では、とくに過酷な労働や懲罰を課されることはなかったが、ひとつだけ重要な作業があったという。それは、自分が犯した戦争犯罪を日記に書いて提出することである。

 

詳細は忘れてしまったが、元兵士の証言によるとその「洗脳プログラム」はたしかこんな感じだった。

 

「わたしは自分が犯した戦争犯罪を記憶の中から探り出して日記に書いた。しかし、それほどひどいことはやっていないので、それ以上のことは書けないし、書く必要もないだろうと思い、そのまま提出した。
ところが、私の教育係は、それに対して何の反応もしない。ただ「もっと悪いことをやったはずだ」と無表情でいうだけである」。

 

そこで、再度記憶を探り出してみると、あるときひとりの農民から食料を買ったことを思い出した。もちろんお金を出して買ったのだが、その農民はもっと高い値段で買ってほしかったらしくちょっと不満げな様子だったのを思い出した。

 

そこで元兵士はこう書いた。
「農民から安く食料を買い叩いた」

 

しかし、教育係は「これじゃだめだ」と今度も首を振った。

 

どうして認めてもらえないのだろう。元兵士は悩んだ。
何日も何日も悩んだあげく、元兵士はある日、ふっきれたような晴れ晴れとした表情でこう書いた。
「私は嫌がる農民から食料を無理矢理奪いました」

 

これを読んだ教育係は笑ってうなづいた。そして「よくできた」とほめてくれたという。

 

驚くべきなのは、この時点ですでに元兵士の脳内での記憶は「買った」のでなく「奪った」に書き換えられていたということだ。

 

これだけをみれば、見事な洗脳テクニックと思ってしまうが、本当のところはどうだったのだろうか。わたしはこの教育係は,特別な洗脳テクニックを学んだ専門家などではなく、どこにでもいる普通の中国人だったのではないかとにらんでいる。普通の中国人が普通の応対をしていた結果,どういうわけかうまく日本人を洗脳できたのではないかと思うのだ。

 

日本人は和を尊び、できるだけ対立を避けようとする。そんな日本人が絶対に自分の非を認めず、悪いのはお前だといって動じない中国人を前に議論をしたらいったいどうなるか。徹底的に相手をやりこめることを好まない日本人は,おそらく相手のいい分をある程度認め,なんとか折り合いをつけようとするだろう。ましてや相手は自分の生命と自由を意のままにできる権力者なのだ。機嫌を損ねたら殺されてしまうという恐怖もそうした傾向に拍車をかけたであろう。

 

さらに、ここにあらゆる人間がもつ必然的な心理的機制として合理化というメカニズムが働く。つまり「自分は嘘をついて事実をねじ曲げたわけではない。私の記憶の方が間違っていたのだ」といって自分の記憶を自分で書き換えてしまうのである。いわゆる「酸っぱいブドウ」あるいは「甘いブドウ」の理論である。

 

その結果、どうなったか。元日本兵の記憶の中の「じっさいに体験した事実」はいつのまにか中国人の教育係が求める「そうあるべき事実」にすりかわってしまったのである。

 

思えば,わたしがネット上ではまりかけた奇妙な感覚も、こうしたメカニズムによるものだったのではなかろうか。

 

そう考えると、旧満州で元日本兵が受けた「洗脳教育」なるものも、中国共産党が秘密裏にもっていた時空を超越した最新の洗脳プログラムなどではなかったのではないか。それは、たんに中国人の「面の皮の厚さ」と日本人の「謙譲の美徳」が出逢うことで偶然高い洗脳効果を発揮しただけの、たんなる普通の思想教育だったのではないかと思うのである。

 

 

 

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