真実はプロパガンダに対抗する最良のワクチンである

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修羅場と化した海陸豊革命根拠地

   

当時「小モスクワ」と呼ばれた広東省にある中国共産党の革命根拠地・海陸豊。ユン・チアン『マオ』によると1928年、この静かな村が血に飢えた指揮官彭湃の下で二ヶ月にわたって血なまぐさい修羅場と化したという。

彭湃は民衆に対して、「腹をかっさばけ、首を切り落とせ…躊躇せず即断でぶち殺せ。一辺の感情も不要」「殺せ、自由に殺せ。殺人は暴動において最高に重要な仕事である」と呼びかけた。さらに子供たちは「反動分子を自動的に殺した」ことをほめられた。

そうして一万人以上の村人が虐殺され、「反動的村落はひとまとめに破壊」されたという。
 

 

これはその8年前、シベリアの尼港事件において首領トリャピーツィン率いるロシア赤軍がひきおこした血なまぐさい大規模な虐殺事件を彷彿とさせる。当時の中国では、いわば何人ものトリャピーツィンが哄笑しながら各地で民衆虐殺の狂宴を繰り広げていたのである。

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彭湃故居
中国共産党初期の農民運動指導者、彭湃の生家。1896年、当所にうまれた彭湃は、広州の学校を卒業した あと21歳で日本へ留学。早稲田大学で政治経済をまなんだ。留学中に社会主義思想にふれ、帰国後…続きを読む→中国近現代史観光ガイド

 

海豊紅宮
彭湃にひきいられ、南下した南昌蜂起軍の一部隊は、1927年10月、当地の農民とともに海豊県の政権を奪取。 ここに中国初のソビエト政権・海豊県ソビエト政府を樹立した。もとは、孔子をまつった寺廟だった…続きを読む→中国近現代史観光ガイド

 

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