真実はプロパガンダに対抗する最良のワクチンである

現代日本の目に見えない思想統制

   

第二次大戦時の日本の思想統制を非難する者は多い。今のいわゆる左翼系学者はもちろんだが、当時の進歩的といわれる文筆家のなかにもそうした者は少なくなかった。かくいう私も思想統制には基本的に反対である。いやできるなら絶対反対の立場をとりたいものである。しかし、同時に当時の状況を考えるとそうむやみに反対するわけにもいかないのではないか、と思う。なにせ戦争中なのだ。いうまでもないが、戦争とは生きるか死ぬかの戦いである。少なくとも殺されるよりはましではないのか。

 

 

しかもそれは戦争が終わるまでの一過性のものである。そのような視点からみれば、戦時下の思想統制をあたかも絶対的な悪であるかのように糾弾するのはややバランスに欠けすぎるきらいがあろう。にもかかわらず、それを必要以上にあしざまにののしる者はいまもすくなくない。ならば逆に問おう。では、あなた自身やあなたの愛する家族や友人がむざむざと敵に虐殺されてもよいのか、と。

戦争をはじめた日本が悪いという反論は勘弁していただきたい。ここでは脇道にそれるので誰が戦争を引き起こした張本人であるかといった議論はやめておこう。とにかく、すでに戦争ははじまってしまったのだ。そこでわれわれがとるべき道は何か。それはただひとつ、どうすれば生き延びられるか、である。であれば、少々の不便は我慢してみなが一体となって協力するのは当然のことであろう。

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それにしても私が一番疑問に思うのは、戦時下の思想統制を非難する人が現代の、すなわち平時における思想統制についてはなんの言及もしないことである。平時の思想統制とは、現代社会を根底から支えている会社至上主義、労働至上主義、金銭至上主義への盲目的な追従傾向のことである。われわれは働かなければ生きていけない社会に生きている。そして働くためには、そうした現代社会を支えるイデオロギーを少なくともある程度は受け入れなければやっていけないことは実際に働いたことのある人ならだれもがわかるだろう。もちろんそれを強要するかつての憲兵隊のようなものはないし、それを拒否する自由もわれわれにはある。しかし、もしそれを拒否して働かなければ、われわれはただ飢え死にするだけなのである。つまり、われわれは事実上、そうしたイデオロギーを拒否する自由は持っていないのだ。

しかも戦時下の思想統制は戦争が終わるまでの一時的なものだが、現代の市場経済社会におけるそれは終わりというものがない。それから逃れるには、金儲け競争というゲームに勝利して働かずとも暮らしていけるだけのお金を手に入れるか、あるいは死ぬことでこのゲームから強制的に閉め出されるのを待つかのどちらかしかない。そして前者になれるのは、幸運なほんのわずかな人達であり、ほとんどのひとは後者なのだ。すなわち、この社会は死ぬまで出られない巨大な奴隷農場であり、監獄であるというのが実態なのだ。

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そもそも市場経済社会というこの現代の監獄をつくりあげたのが、現在この世界を牛耳っているアメリカとイギリスであることも忘れてはならないだろう。じつは大日本帝国は、この英米による世界支配システムを打破しようとして戦ったという側面もあるのだ。戦時下の思想統制を非難する人はいっぱしの自由主義者気取りなのだろうが、その自由主義者たちがいつのまにか奴隷にされていたというのがことの真相である。しかも愚かしいことにかれら自由主義者は、当の本人が奴隷であることにいまもって気づいていないときている。まさに馬鹿は死ななきゃ直らないというべきであろう。ともあれ、どんな形のものであれ思想統制はできるだけ御免被りたいものである。

 

 

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