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華北分離工作の裏にも中国共産党の影が…

   

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満州国に接する華北一帯では、1934年から1935年にかけて中国軍による挑発事件がたびたび発生した。これは前年に結ばれた塘沽停戦協定への明らかな違反行為であると同時に、その後の日本軍による華北分離工作の遠因にもなっている。たしかに見方によっては、挑発事件に乗じた日本軍が中国侵略の駒をさらに進めたようにもみえる。しかし、真相はどうだったのだろうか。

注目したいのは、なぜよりによってその時期に集中してそのような挑発事件が起こったのかということである。そもそも、1934年といえば江西省の山岳地帯に拠っていた中国共産党が国民党の包囲戦による猛攻を受けてほとんど壊滅状態だった時期である。実際、その年の10月には根拠地である瑞金を捨てて長征に出発している。つまりその当時、中国共産党はちょうど負け戦の状況にあったのだ。

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死地を脱出しようとしていた共産党が追いすがる国民党を追い払う上でもっとも効果的な手段はなにか。それはやはり国民党軍と日本軍を衝突させることであっただろう。それによって共産党に向けられた力を削ぐことができるからだ。ということは、特命を受けた現地の共産分子が日本軍を関内に引きずり出そうとして満州国に対する挑発事件を引き起こしたとも考えられる。そしてもしそうであれば、これら一連の挑発事件は中国共産党によって意図的に引き起こされたものであるということになる。

じつはそのことを裏づける資料がある。蒋介石はその回顧録の中で、「日本軍が中共分子の策動に乗って華北に進出したため、(局面を転換できず)収拾できない状態となった」と華北における日本軍の強硬姿勢の裏に共産党の関与があったことを認めているのだ。

もしそれが事実であったとすれば、盧溝橋事件をきっかけとする日中戦争がそうであったように、この華北分離工作もまた原因は中国共産党の策謀にあったという結論になる。毛沢東が日本軍と国民党軍を戦わせ、そこから漁父の利を得ようとしたことはいまでは公然の秘密だが、この華北分離工作までも中国共産党による策謀であったとしたならば、日中、そして日米の衝突という未曾有の大動乱を引き起こした憎むべき挑発者は、巷間いわれているような日本ではなくむしろ中国共産党であったということになる。はたして真相はどうだったのか。

 

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