真実はプロパガンダに対抗する最良のワクチンである

共産党を脱走し、山賊稼業に身を落とした毛沢東

   

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1920年代の後半、共産党の命令に背いて井崗山にたてこもった毛沢東は地元の山賊やごろつきとともに周辺の村々を略奪して回っていた。そうした襲撃はいちおう「打土豪」(地主を倒すこと)と称していたが、やっていることは昔ながらの山賊行為と何も変わらなかった。そんな毛沢東を地元の新聞は「毛匪」と呼び、その悪行三昧を書き立てた。当時の毛沢東は共産ゲリラというのは名ばかりで、実際には貧しい村人を暴力で脅しながらその財産と生命を奪いとるただの山賊でしかなかったのである。

 
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ここは、その井崗山で朱徳軍と合流した場所。会師広場と呼ばれている。

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1928年4月末、朱徳の率いる南昌蜂起の残存部隊2000人および鉱山労働者や農民の武装部隊 6000人が井崗山へのぼってきた。ここは、合流した毛沢東の部隊と朱徳の部隊が、 紅軍第4軍として再編成された場所。合流した両軍は、新たに中国工農紅軍第4軍と称され、 毛沢東が党代表、朱徳が軍長に就任した。またこの時、毛沢東は、有名な「3大規律8項注意」を定め、 下士官から兵卒にいたるまで徹底して遵守させるようにした。広場には演壇が復元され、 当時の様子が再現されている。なお広場の前の会師橋は、両軍が最初に出会ったところである。 寧岡県の中心部を流れる竜江の河畔にある。

http://china-redtour.com/spot/tochi_seikouzan2.html

 

 

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