真実はプロパガンダに対抗する最良のワクチンである

イギリス軍が引き起こしたもうひとつの「南京大虐殺」

   

スポンサードアド

20150204170046
阿片戦争中、最大の激戦となったのは1842年7月に発生した鎮江(南京の隣町)での戦いであった。

伝えられるところによれば、その際、いわゆる「南京大虐殺」そっくりの虐殺事件が発生したという。

記録によると当時発生したのは、満洲族官憲による漢族市民への暴行と虐殺、そして英国軍による市民への虐殺・暴行などだ。

ここで満州族官憲を国民党軍に、漢族市民への暴行を漢奸刈りに、英国軍を日本軍に入れ替えてみてほしい。あ〜ら不思議、中身は違えど筋立てはまったく一緒の「南京大虐殺」物語の一丁上がりである。

この他にも太平天国終焉時の清国軍による南京包囲戦や、中国共産党軍による南京解放戦など、いわゆる「南京虐殺」と呼べる虐殺行為は中国の歴史上いくらでも数えられる。

にもかかわらず、中国政府はどういうわけか、1937年のそれだけをしつように非難し続けている。

日本軍による南京虐殺が真実だと信じて疑わない、いわゆる良識派と呼ばれる人たちがそのおかしさに気づかないというのもなんともおかしな話である。

スポンサードアド

 

以下 http://ameblo.jp/global7ocean/entry-10517861451.html より引用

鎮江の戦い

1842年7月、鎮江副都統海齢(満州族)が鎮江城の城門を閉鎖し、城内の遊侠(漢族)狩りを開始。1842年7月14日、鎮江の戦い。極東艦隊の9隻が鎮江の海岸にある砲台を攻撃。1842年7月17日、ウィリアム・パーカーはブロンド号とモデスト号、HMS Calliopeに物流の大動脈である京杭大運河を封鎖させ、北京への物資輸送「漕運」は停止した。城門を閉ざされた場内の住民(漢族)は飢えた。海齢率いる満州旗兵が場内で漢族への虐殺と暴行を再開。1842年7月20日、極東艦隊の56隻が甘露寺から瓜州の河口まで整列。英国軍三旅団は西岸の金山から上陸開始。激怒した住民数万人が蜂起して満州旗人を襲撃。満州旗人は旗営に逃げ込んだ。1842年7月21日、英国軍三旅団は城壁にとりつき、西門を突破。場内では阿片戦争中、最も凄惨な戦闘が行われた。満州旗兵は全滅。英国軍の死者は40名。南京城の両江総督牛鑑は鎮江城を見殺しにし陥落した。場内では満州旗人に代わって英国軍による虐殺と暴行が行われた。

 

Monacoinを投げる
モナゲ(tipmona)ってなに?
そもそもMonacoinってなに?

スポンサードアド

「新・真相はかうだ!」ツイッターでもつぶやいてます!

¥
Personal Info

Donation Total: ¥300

 - 中国, 自虐史観 , ,