真実はプロパガンダに対抗する最良のワクチンである

安保関連法案成立の陰で呵々大笑している世界の支配層

   

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安保関連法案が本日衆議院で可決されました。私は基本的に賛成の立場です。なので、可決されたこと自体に異議を唱えるつもりは毛頭ありません。しかしそれでもなお胸の内にはもやもやとくすぶり続けるものがあるのも事実です。

以下、それについて思いつくまま書いてみたいと思います。

ひとつは、中国の脅威に関するものです。

政府が中国の脅威を煽っているという意見が散見されますがとんでもありません。中国がどのような国なのか、とくに中国共産党がどういった素性の組織なのかについては、日本人の多くが無知のままです。まだまだ煽っても足りないぐらいだといえるでしょう。そしてその中国の脅威が高まっている今、そうした脅威から自らを守るには当然、自衛手段が必要になります。したがってこの安保関連法制は、生命の安全という国民の基本的人権を守る上からも絶対に欠かせない法律といえるでしょう。

ふたつめは、これに対する反対意見についてです。

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これに反対する人の多くはいわゆる左よりの方々のようですが、その主張を要約すれば、日本は戦前と同じ道を歩もうとしているというものでしょう。

その主張には私も賛同します。しかし、問題はそれに代わる有効な案はあるのかと問われた場合、誰も説得力のある答えを出せていないというところにあります。

そして、ここからがいよいよ本題に入るのですが、重要なのは戦前のあの当時もまた戦争を回避する有効な代替案は事実上存在しなかったということです。

 

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あの戦争を避ける道はあったのか?

当時、そうした代替案がなかったことを端的に示しているのが、毎年夏になるとニュースキャスターがいかにももっともらしく問いかける「あの戦争はいったいなんだったのか?」という言葉です。しかし、戦後、それに対して明確な答えが出てきたためしがあったでしょうか。70年経っても答えが出ないということは「他に選択肢がなかったのだ」ということに私たちはそろそろ気づくべきでしょう。

もっとも、一部には第三の道として「小日本主義」があったと主張する人もいます。けれど、それは一時的な弥縫策にはなっても、長期的には破綻せざるをえなかったものと私は見ています。実際、世界大恐慌が発生すると、その青臭い理想主義は自国の利益を優先する冷徹な国際政治の現実の前に早々と退場を迫られました。

また仮にこの小日本主義がうまく行ったとしてもそれが永遠にうまくいくとはかぎりません。いつなんどき世界の風向きが変わり、牙を向ける国が出てこないともかぎらないからです。その時、日本は誰にも頼らず自国だけでそれを跳ね返す実力(資源も含め)を保持できているのでしょうか。しかし、小日本主義を支持する人たちの間から出るのは根拠のあいまいな希望的観測ばかりで、確かな根拠にもとづく説得力のある回答はこれまでに聞いたことがありません。

さらにこの小日本主義が前提としているのは、当時の国際関係の現実に対する肯定、あるいは諦観です。無抵抗主義といってもよいでしょう。ここにあるのは、よそはよそ、うちはうちという一種の独善主義であり、いまでいえばいわゆる一国平和主義といえるでしょう。ということは、当時世界を覆い尽くしていた欧米による植民地体制に対して日本はなんら異を唱えることなく、そのまま肯定することを意味します。

しかし、植民地体制を肯定するのであれば、日本はそうした体制のなかでいったいなにを目的に国家を運営していくつもりだったのでしょうか。

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もしたんなる経済発展、すなわち金儲けが目的なのであれば、日本はなにも小日本主義などというちまちましたことをやらずとも欧米同様、植民地を一気に獲得し、そこから徹底的に搾取した方がむしろ手っ取り早いということになります。また植民地体制の打破を目的にするのであれば、いかに波風を立てないよう努力したところで、遅かれ早かれ欧米とは衝突することになっていたでしょう。

こういうと、あの当時植民地体制はすでに終盤を迎えていたという声も聞こえてきます。しかし、その根拠はと問うと、これまた返ってくるのは多様な意味合いをもつ歴史的事象を自らの希望に合致するよう切り取っただけの都合のいい「解釈」、すなわち客観的な事実ではなく、主観的な意見ばかりです。

仮に大東亜戦争がなかったとして、数百年にわたり世界を覆ってきた白人列強国による植民地体制が自然に崩壊したでしょうか。私にはとてもそうは思えません。

そのことは、戦後、オランダやイギリスが植民地体制を復活させようとして再びアジアに戻ってきた事実や、アフリカにおいても戦後長い間、植民地体制が維持されていたことからもわかるはずです。

つまり、少なくとも欧米の一部は戦後になっても植民地を手放そうとは思っていなかったということは誰にも否定できない客観的事実なのです。

同じ轍に追い込まれつつある日本

このようにじっくり考えてみればわかるように、結局のところ、あの戦争には他の選択肢などなかったのです。にもかかわらず、私たちは戦後、あの戦争は一部の軍国主義者が勝手に起こしたものであり、軍国主義者さえいなければ戦争は起こらなかったという何の根拠もないでたらめを信じ込まされてきたのです。

しかも、戦争がなぜ起こったのか、その原因を探求する時間さえ与えまいとするかのように、アジア諸国への侵略とそこで繰り広げられた残虐行為というこれまた根も葉もない冤罪が反日マスコミによってこれでもかこれでもかとばかり、繰り返し蒸し返されてきたのです。

そうした中、私たちはいつしか何の根拠もなく戦前の日本人は好戦的だったが戦後の日本人は平和的な国民に生まれ変わった、だから平和への強い思いさえあれば戦争は防げるなどという国際政治の現実を無視したお花畑な説を信じ込むようになってしまったのです。いやそう自らを欺くよう巧妙にプログラムされてきたのです。そうして盲目にされた日本国民はかつての過ちをふたたび繰り返そうとしているのです。

ここでいう「過ち」というのは、かつて軍部が台頭したことそのものをさしているわけではありません。理想主義に陥り、有効かつ現実的な方策を打てず、最終的に軍事力にしか頼る事ができなくなってしまった対応のまずさを指摘しているのです。もっとも繰り返しになりますが、あの当時、他に選択肢はなかったというのが私の見方ですが…。と同時に、選択肢がひとつしかなくなるまで追い込むいわゆる双頭戦略、あるいはいま風にいえばショックドクトリンが今もなお有効に機能しているということに私たちは気づく必要があるでしょう。

いわゆるユダヤ陰謀論者を含め、この狂言回し全体の欺瞞性を指摘する人がいないわけではありません。しかし残念ながらそれらの多くが「どうだ、おれは世界の裏まで知っているんだ。すごいだろ」といったただの知識自慢に陥ってしまい、現実的な対応策を打ち出せていないのが現状です。これもまた戦前と同じです。戦前もユダヤ陰謀論が流行し、軍部内にはそれを調査する部署までありましたが、生半可な知識による予測が間に合わないほどダイナミックに揺れ動く圧倒的な現実に翻弄されたまま、それらの部署は最後まで具体的な方策を打ち出す事ができませんでした。

ここで全体を俯瞰出来る人たちが有効かつ現実的な対応策を出さないかぎり、日本はかつてたどった道をふたたびなぞらされてしまうことになるでしょう。

つけくわえていえば、こうした状況を前に、ある程度ものごとが見える人は、どちらの言い分にも組する事ができず、かといって有効な対応策もないため、政治に対し、ますます無力感を抱くことになってしまいます。そうなれば、この世界を自分たちの思うままに動かしたいと願う狂言回したちにとっては、これまた思うつぼということになってしまうのです。

あまり言いたくはない言葉ですが、これではまさに「やんぬるかな」というところです。

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