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中国をめぐる日米の角逐の歴史まとめ

   

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中国をめぐる日米による以下の一連の流れを知るべきである。

お花畑の左翼はこうした過去のいきさつを無視して、頭から日本だけが悪かったといい、あたかも戦争以外の選択肢が当時の日本にはいくらでもあったかのように主張する。

しかし具体的にどんな選択肢があったのかとあらためて問うと誰も答えられないという不思議なニッポンの現状である。

 

1900年 門戸開放宣言(米の中国進出開始)

1904年 日露戦争(満州が日本の防波堤になる)

1905年 ハリマン事件(米の満州共同経営案を日本が拒否)←日本の勝利

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1917年 石井ランシング協定(支那の現状維持の確認)←日本と米、引き分け

1922年 ワシントン会議(支那の現状維持の再確認。しかし米有利)←米の優位

1920年代 支那の国際法無視(革命外交)(裏には米の使嗾があった)

1931年 満州事変(米と支那のふるまいに日本ブチ切れる)←日本の勝利

1935年 幣制改革(中国がドルポンドブロック圏に組み込まれる)←米の勝利

1937年 日中戦争←米、ソ連の勝利

1945年 終戦(日本敗退)←米、ソ連の勝利

1950年 朝鮮戦争(朝鮮半島が米の防波堤になる)←米の敗北(後悔)

 

以後、アメリカは日本に代わり、東アジアの防共の役割を担うはめになる。

この一連の闘争では、当初の目的であった中国市場が得られなかったばかりか、日本を破ったことで東アジアの防備を肩代わりせざるをえなくなったアメリカが最大の敗者といえる。

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