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古谷経衡氏の「あの戦争に『負けたけど勝ったんだ論』の罪深さ」への違和感

   

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戦前の日本を非難する左翼は「あの戦争」に代わる具体的な代替案を示すべき

評論家の古谷経衡氏が書いた「あの戦争に『負けたけど勝ったんだ論』の罪深さ」という文章が一部で物議をかもしている。

→あの戦争に「負けたけど勝ったんだ論」の罪深さ

本題の「負けたけど勝ったんだ論への批判」そのものもつっこみどころ満載ではあるのだが、まあ解釈の違いとしてここでは置いておこう。

それより、この文章を読んで私が違和感を覚えたのは、古谷氏が言う「あの戦争への反省」の中身がはっきりしないことだ。

「〜というご都合主義からは、なぜあの戦争で日本が敗北したのか、なぜ勝てなかったのか、という「敗戦責任」への考察は生まれない」。

「先の戦争から何も学ばない、何の反省もない、先の戦争の美化・賞賛だけで『なぜ負けたのか』の失敗の本質を追求しない歴史観を増殖させている」。

こうした物言いからは、反省すべきなのは「戦争に負けたこと」であると考えているようにもみえる。であれば、負けなければあの戦争は正しい戦争だったとでも考えているのだろか?

文脈をみるかぎり、そうとは思えない。

では、「何を反省すべき」と古谷氏は考えているのだろうか?

反省することはたいせつである。私も基本的に戦争は反対の立場である。

私は「反省」というのは、間違った選択に代わるよりよい代替案を見つけるための努力だと考えている。

もしそうだとすると「あの戦争を反省する」というのは、あの戦争がなぜ起こったのかをきちんと理解した上で、戦争に代わる道を探り出す作業のはずだ。

しかるに、戦後72年間、「反省すべし」という言葉があちこちで叫ばれてきたその一方で、肝心な「反省」の具体的な中身がいまもなおさっぱり見えてこないのはいったいどういうわけなのだろうか?

これは私の管見なのだが、あの戦争は日本にとって不可抗力だったと思っている。左翼の方々はよく「日本が戦争を引き起こした」と言うが、あれはどうみても追い込まれた末の戦争だったとしか私には思えない。

そうではない、日本は自ら戦争をしたくてそうしたのだ、というのであれば、日本がいつどこでそのような「間違った選択」をしてしまったのか、またその際どのような代替案があったのかをきちんと指摘すべきであろう。

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もし「他国は平和を望んでいたのに日本だけが戦争をしたくて自ら主体的にそうしたのだ」というのであれば、それに代わる選択肢などいくらでもあったはずだ。ことは日本側の自由意志にかかっていたのだから‥。

そもそも他に選択肢がなかったというのであれば、我々は何をどう「反省」すればよいのだろうか?

代替案もないのに反省するというのはいったいどういうことなのか? 避けられなかった過去の過ちにいつまでも拘泥し、自らを永遠に非難し続けるのが「反省」なのだろうか?

古谷氏は「『二度と悲劇は繰り返しません』とか『戦争は絶対によくない」』というのは結構なことだが、静かに跋扈する『負けたけど勝ったんだ論』を何とかしないと、二度・三度の間違いは繰り返されるのではないか」と述べている。

「『負けたけど勝ったんだ論』を何とかしないと」という部分以外は私もまったく同感である。であれば「二度・三度の間違いが繰り返されない」よう、古谷氏にも「あの戦争に代わる代替案」を示す義務があるのではないだろうか。

同様に戦前の日本を非難する人はまず「あの戦争に代わる代替案」をきちんと示してからそうすべきである。

そうそう、その際、青臭い理想主義でしかなかった小日本主義以外の、またその場しのぎではなく長期的に日本の独立を担保できるような現実的で有効、かつ具体的な代替案をお示しいただきたいものである。

 

小日本主義に関してはこちらの議論にも出てきます(安易な代替案なるものを出す前に一度読まれることをおススメします)
あなたはどっち? 進出不可避派VS不要派。満州をめぐる日本人同士の歴史戦。

こちらも参考までに
暴かれた盧溝橋事件の真実 支那事変を仕掛けたのは中国共産党だった!

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