真実はプロパガンダに対抗する最良のワクチンである

左翼による日本非難の構造

   

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左翼はかつて日本が侵略戦争をおこなったとして、それがいかに不当であるかを執拗に糾弾し続けている。だが、それがはたしてどこまで正当な非難なのかといえば正直かなり首をかしげざるをえない。

たとえば彼らがもっともやり玉に挙げるのは、大東亜戦争肯定史観である。なかでもあの戦争は侵略戦争などではなく、アジア解放のための解放戦争だったという見方に対しては異常なまでに徹底的な攻撃を加えてくる。

 

 

日本がなぜあの戦争を戦ったのかということを国家の観点からみた場合、それはもちろん自存自衛のためであっただろう。国家というのは、国民のために存在するものであり、国民を意味もなく危険にさらす行為をすることはその成り立ちからいってありえないからだ。したがって、「日本政府」が国益をまったく度外視し、純粋に植民地の圧政下にあった可哀想な他国民を助けようとして戦ったというのであれば、それはたしかに無理があろう。

だが、アジア主義者という勢力が一定の力を持っていたことからもわかるように、心情的には可哀想な被抑圧民族を助けたいという純粋な気持ちが当時の日本国民の間に鬱勃としてわき上がっており、そうした気分がかなりの程度共有されていたこともまた否定できない厳然たる事実なのである。

あの戦争がたんなる国益伸張のための侵略戦争であったとして、その行為のすべてをばっさり斬り捨てる戦後左翼の言説に対し、多くの人が心情的にすくなからぬ反発を覚えるのはそこにある。

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またこのアジア主義にみられる「日本的利他主義」に対し、それはいわば強者が弱者を助けようとするものであり、そこには上にある者が下にある者を見下すという抜きがたい差別構造が組み込まれているなどといって、その偽善性を非難する声もよく聞かれる。

だが、それをいうならいまさかんにほめそやされているボランティアなども同類であろう。社会的弱者に対して、手を差し伸べようとする人たちみなが、謙虚ではなかったり、必ずしも純粋な気持ちからやっているわけではなかろう。しかしだからといってボランティアという行動自体が否定されるべきものでもあるまい。

ここに見え隠れするのは、自分たちに都合のよいものさしを使い分けるダブルスタンダードである。そしてじつのところ戦前の日本を非難する人たちの本音は、どういうわけかただそれを非難したくてたまらないだけなのである。まず非難という目的が先にあり、そのために必要なものさしを引っ張りだしてきてはそれを当てはめているだけなのである。それは結論ありきの、「ためにする」主張であり、特定の勢力におもねる曲学阿世の議論でしかない。要は詭弁ということである。

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