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【満州問題と辛亥革命】革命の美名に隠れ領土拡張を図った革命詐欺師・孫文

   

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満州は中国ではないー辛亥革命のペテンに隠されたその証拠

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独立戦争から侵略戦争へと豹変した辛亥革命

「滅満興漢」「駆除韃虜」というスローガンが示すように、辛亥革命は本来、満州族が支配する清朝からの分離をめざした漢民族による独立運動だった。ところが革命後に樹立された中華民国は、それらをいつのまにか「五族共和」というスローガンにすりかえた上、満州、内蒙古、チベット、ウイグルなどもその版図に組み込んでしまった。革命のどさくさにまぎれて旧清朝領土までもちゃっかり自分のものにしてしまったのである。

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これは世界史的にみればきわめて異常というべき事態である。たとえば戦後、長い間植民地支配を受けていたインドは宗主国であるイギリスから独立したわけだが、仮にその際、イギリス本土はもちろんのこと、その旧植民地であったマレーや中東、さらにアフリカ諸国や北アメリカ大陸までも含めすべて自分たちの領土だとインド政府が主張したらどうなるかーー。当然ながら、馬鹿なことをいうなとインド政府は世界中から袋だたきにあうだろう。

ところが、中華民国にかぎっては、どういうわけかそうはならなかった。独立した新国家がかつての宗主国の領土をそっくり受け継ぐという異常事態が国際社会でそのまま認められてしまったのである。

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なぜこのような異常なことが起こってしまったのだろうか。また満州からの分離独立をめざしたはずの革命家が突然豹変し、満州併合へと方針を転換したのはなぜだったのだろうか。

変節した革命家たち

理由はいくつかある。ひとつは、漢人実力者による利権確保である。たとえば新政府で重鎮となった袁世凱は、清朝時代から満州に利権をもっていた。そんな袁世凱にしてみれば、満州が他人のものになってしまうのは不都合なことだったろう。またのちに満州に覇を唱えることになる張作霖もその当時、すでに満州に地盤を築いていた。こうした状況であれば、満州の利権を失うことをおそれた当時の実力者たちが裏で満州併合を画策していたとしても不思議ではあるまい。

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ふたつめは、イギリスも清朝版図の継承を望んでいたことである。清朝時代に結んだ不平等条約を革命後もそのまま保持したかったというのがその理由だ。仮に新政府が満州を切り離してしまった場合、そうして自分たちは清朝とは無関係だと言い出した場合、かつて清朝から得た多くの利権が失われてしまうおそれがある。それを防ぐためイギリスは新政府に対し清朝の衣鉢を継ぐよう促すとともに、見返りとしてその版図を継承することを黙認したのであろう。いや、むしろそうするよう裏でそそのかしたのかもしれない。

そしてこれがおそらく最大の理由なのだが、みっつめは中華思想である。中華思想というのは中国こそが文明の中心であるとする中国独特の思想である。そこにはその論理的帰結として中国領土が広がることは単純にいいことだとする考え方がある。このことは、すでにユーラシア大陸の半分ともいえる広大な領土をもちながらなおチベットやウイグル、さらに尖閣諸島までも自分たちの領土だといってはばからない現在の中国人のどん欲さをみてもわかるだろう。つまり清朝の版図を継承することを望んだのは、時の政府よりむしろ国民である中国人自身だったのである。

満州人が独立を望まなかったというのは嘘

ついでにいえば当時満州人は独立など望んでいなかったし、むしろ自発的に中華民国内にとどまったのだという現在の中国政府による弁解めいた理屈もあるが、これはまったくのデタラメである。

まず満州人が独立を望んでいたことは辛亥革命後、数度にわたって発生した満州独立または清朝復活をめざす武装蜂起やクーデター事件からも明らかである。なかでも宗社党という満州人グループによって1912年と16年の二度にわたって引き起こされた武装蜂起事件はいずれも失敗に終わったとはいえ、その当時、満州人が抱いていた中華民国への反発と独立国家樹立への願望がなみなみならぬものであったことを示している。

一方、新たな支配者となった中華民国政府が廃帝となった溥儀を北京から放逐せず、紫禁城に幽閉し続けたのは、そうした満州人の独立運動をけん制するためでもあった。仮に溥儀が故地である満州に戻ってしまったら、満州人による満州独立運動に大義名分を与えることになってしまう。そうなるのをおそれた当時の権力者たちが、北京から出られないよう事実上の軟禁状態においたのである。ちなみに溥儀が紫禁城を追い出されたのは満州独立のおそれがなくなり、政治的に用済みとなった1924年のことである。

川島浪速と粛親王

満蒙独立運動の指導者粛親王と盟友の日本人浪人川島浪速

 

満州争奪戦に割って入ったアメリカ

この中華民国による満州併合は、国際社会にとっても歴史的な誤りであった。なぜなら、満州が辛亥革命後、ただちに独立国となっていたならば、その後に発生した東半球全域を覆う大規模な戦乱はもしかしたら避けることができた可能性があるからだ。

そもそも満州事変から支那事変、そして太平洋戦争へと続く日中の、さらにはアメリカをも巻き込んだ一連の戦争の原因は、つきつめていえばみなこの満州問題に帰着する。すなわち、これらの戦争の背景にはすべて満州問題が関係しているのだ。

もちろん、現実はそう単純ではないのだが、ここでおおざっぱに言い切ってしまえば、問題の根底にあったのは第一に満州をめぐる日米の主導権争いであり、第二にそれをいたずらに複雑化させた中国共産党の存在である。

20世紀はじめの門戸開放宣言以来、アメリカが中国市場への進出を画策していたことはよく知られている。なかでも日露戦争の後、アメリカの鉄道王・ハリマンが日本に南満州鉄道の共同経営を提案したことは、アメリカの野心がその当時、とくに満州へ向けられていたことを示している。また日本がそれを突っぱねたことが、その後の日米対立の遠因となったことも戦後、研究者によって明らかにされている。

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日本にとって満州が死活的に重要な地域であった以上、それが簡単に解決できる問題でなかったのはいうまでもない。だが、それが日米両国だけの争いであったならば、そこはそれ、同じ近代国家としての理念を共有する先進国同士、もしかしたらもっとスマートな解決策を見つけ出していた可能性もあっただろう。仮に当時、日米両国だけで外交交渉を続けていたならば、すくなくとも太平洋戦争のような最悪の事態はあるいは回避できていたかもしれない。

 

中国共産党は満州問題の落とし子

ところが、そうした平和的解決の道をふさいでしまったのが、中国共産党である。満州を民族主義の道具に利用しようとはかった中国共産党は日米の間に横槍を入れることで、本来中国とは無関係な国際問題であったはずの満州問題を無理矢理中国を当事者とする国内問題にすりかえてしまったのだ。これによって、ただでさえやっかいだった満州問題がより複雑化し、あげく事実上解決不能の状態に陥ってしまったのである。

しかし、ここで疑問が浮かび上がる。それは、もともと山賊に毛の生えた程度の勢力でしかなかった中国共産党が、なぜあそこまで大きくなれたのかという問題である。その原因を探っていくと、根底に見つかるのは当時中国人の間に広がりつつあった「反日感情」である。

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いうまでもなく中国共産党は本来、共産主義を旗印にかかげる政党であった。だが、その当時、中国人の多くは文盲であり、難しい理屈を言っても一般の人は誰も理解してくれない。そこで中国共産党は、小難しい共産主義の理論は後回しにし、「日本による中国侵略」という民族主義的な危機感をあおることによって勢力を拡げようとした。そしてその際、最大限に利用したのが当時、中国人の間に浸透しつつあった反日感情だったわけである。

この反日感情が生まれる発端となったのも満州問題である。日露戦争で、その侵略を前になすすべもなく傍観していた清朝政府に代わってロシア人を追い出したのは日本であった。その後、日本は満州を清朝に返してやると同時に、将来同様のことが起こらないようにらみをきかす意味で遼東半島に軍隊を駐留させ、満鉄線沿線を租借し、その警備を肩代わりしたのである。

ところが、一部の中国人は10年以上もあとになってから、それを日本による侵略だと言いつのり、独力で自分の領土を守りきれなかったふがいなさを棚に上げて非難しはじめた。「日本はもともとわれわれの領土である満州を奪った」「われわれはそれを日本から奪い返さなければならない」というわけである。こうして、満州問題をきっかけに生まれた反日感情は、その後大きなうねりとなって中国国内ばかりでなく国際関係にまでも大きな影響をおよぼすことになったのである。

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ちなみに、中国人の反日感情の原点となったのは第一次世界大戦中、日本が中国におしつけた「21か条の要求」であるというのが一般的な見方である。しかし、その21か条の要求の多くもこの満州問題にからむものであった。つまりもとをたどればこれもやはり満州問題へと行き着くのである。

ついでにいえば、この21か条の要求が日本の帝国主義的体質の露骨な現れであったという説がこれまでまことしやかに流布されてきたが、これまた真っ赤な嘘である。実際にはこの要求は、政敵を説得する口実にするためできるだけ強硬なポーズをとるよう袁世凱の方が日本側に頼んだものであり、いわば自作自演の芝居であったことが、最近の研究によって明らかにされている。

話が少しそれてしまった。反日感情の話題に戻ろう。ここで重要なのは、満州問題がなければ反日感情も生まれなかったということである。もちろんまったく生まれなかったと言っているわけではない。仮に生まれたとしても歴史に影響をおよぼすほど大きなうねりにはならなかったであろうという意味だ。

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ということは満州問題がなかったならば中国共産党があそこまで勢力を伸ばすことはなかっただろうし、仮に一定程度勢力を伸ばすことができたとしても国民党による討伐によって結局は殲滅されていただろう。

 

大東亜戦争も結局、辛亥革命のペテンが原因

さらにもし中国共産党の勢力拡大がなければ、その後の歴史も大きく変わっていたはずだ。というのもあの当時、もし中国共産党がなかったならば支那事変、すなわち日中戦争は起こりえなかったからだ。

支那事変が中国共産党による謀略であったことは、いまでは多くの研究者の支持するところとなっている。本題からはずれてしまうので詳細な説明はしないが、ここでは一時壊滅寸前にまで陥った中国共産党が奇跡的な復活を遂げたのは、支那事変がきっかけだったということを示すだけで十分だろう。

長征という名の逃避行の末、辺境の延安へほうほうの体で落ち延びてきた中国共産党は、当時ほとんど壊滅状態にあった。そんな状況にあった中国共産党を救ったのは、盧溝橋事件にはじまる支那事変の勃発だった。これによって、中国共産党は「一致抗日」というスローガンの下、国民党との間に第二次国共合作を結ぶことに成功したのである。

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これは会社にたとえれば、借金まみれの会社が大企業に身売りすることによって倒産を回避したようなものである。もちろん、盧溝橋における謎の発砲事件をきっかけとしてはじまった支那事変が、第二次国共合作をもくろむ共産党による自作自演であったことはいうまでもない。

またもし日中戦争がなかったならば、太平洋戦争も起こらなかったはずである。なぜなら太平洋戦争は、日中戦争、すなわち「中国に対する日本の侵略戦争」をやめさせるという名目でアメリカが介入したことから起こったものであるからだ。

ということは満州が最初から独立国であったなら、中国共産党が力をもつことはなかったし、またそうなれば日中戦争や太平洋戦争も起こらなかったということになる。さらにいえば、もし太平洋戦争がなかったならば、現在の中国も共産党政府ではなく、国民党政府もしくはより民主的な政府によって運営されていたであろう。そしてもしそうであったならば、東アジア情勢はいまよりずっと安定したものになっていたはずだ。

こうしてみると、辛亥革命の際、中華民国による満州併合という非常識を当時の国際社会が許したことはやはり歴史的な間違いであったといわざるをえない。

 

 

 

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