平和の神を装った悪魔の教えに注意!
警告!南京虐殺説は憎しみを増幅させるカルトの教えである。
そもそも南京虐殺説というのは、いったい何が問題となっているのでしょうか?
犠牲者の数? 証拠のねつ造? 否定論者の戦争美化論?
いいえ、いずれも的外れです。
最大の問題は、そこに隠された虐殺正当化の論理です。
「南京虐殺説」はこう言っています。
日本軍は何の罪もない中国人を大量虐殺した。
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その残虐な日本軍を追い払った我々中国共産党は正義の軍隊である。
封建主義者、帝国主義者という悪魔から人々を解放した神の軍隊である。
↓
神の軍隊であるから、その殺戮は悪ではなく、神の慈悲である
↓
我々は神のお墨付きを得たものであるからその殺戮を非難することは誰にもできない
結党以来、かれらはこのような理屈のもと、「人民を解放する」という旗を掲げながら、無数の人民を殺戮してきました。
また同じように多くのチベット人やウイグル人を殺戮し、いまもなお圧政下においています。
これは、かつてオウム真理教が陥った「ポア」と同じ、殺人を正当化する論理です。
チベット仏教で用いられる本来のポアとは「死に際して、その魂を高い世界に移し変える(転生させる)こと」を意味しています。
ところが、オウム真理教では、魂を高い世界に転生させるのが目的であれば、その人の命を奪ってもかまわないし、それはむしろ菩薩行として賞賛されるべき行為だとして殺人を正当化する教義にしてしまいました。
中国共産党はカルトである
中国共産党は、オウム真理教と同じカルト集団です。
共産主義者のいう革命とは、要するに社会をよりよいものにするためには少々の犠牲はやむをえないし、人を幸せにするためなら殴ってでもそうしてあげた方がその人のためである、というきわめて身勝手な理屈にもとづくものです。
すなわち、中国共産党員は、人々を幸福にするためには敵対するものを殺してもかまわないし、むしろそれは仏の慈悲であり、菩薩行であるという論理のもとで行動しているのです。
南京虐殺についても同様です。
かれらはいま、南京虐殺を認めない日本人を正義に反する者、神の意志に歯向かう者としてとらえています。
過激な一部は、絶対的な善である中国共産党にさからう者は殺してもやむをえないし、むしろ当然であると考えはじめています。
実際、中国の憤青(極端な民族主義者)の間ではいま「東京大虐殺」が合い言葉になっています。
これは「南京虐殺教」の中に隠れていた殺人正当化の論理が、より明確な形となって浮かび上がってきたことを示しています。
このように南京虐殺というプロパガンダの裏には、「正義の名のもとの虐殺」は正当化されうるという論理が隠れているのです。
もしあなたが「南京虐殺説」を信じていて、そのような悲劇を二度と繰り返したくないと考えているなら、それを信じること自体、現在進行中のチベットやウイグルでの虐殺に、そして将来起こるかもしれない次の「○○虐殺」に加担しているのだということに気づかなければなりません。
「南京虐殺教」に気をつけてください。それは平和の使者を装って心優しいあなたに近づいてきます。
自分は善人であり、平和と愛の神を信じている・・・・そのつもりだったのが、いつのまにか戦争と争いをもたらす悪魔を信じていたということにならないようにしてください。
そこにあるのは、悲劇を回避する許しの思想ではありません。悲劇を増幅させる憎しみの思想です。
ねつ造された南京虐殺説は、平和の神をよそおった悪魔の教えなのです。
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