軍閥混戦に終止符を打つどころか、その後の中国をますます混乱の淵に陥れたのは孫文の中途半端な容共姿勢であった。1922年、孫文とソ連外交官ヨッフェとの間で取り交わされた共同宣言は、ソ連=コミンテルンによる直接介入を許し、結果として二度にわたる国共合作と国共内戦、さらには日本と英米を巻き込んだ国際的な戦争までも招来することになったからである。

 

ここはその当時、孫文が居を構えていた上海の邸宅である。洋風2階建てのフランス風家屋で、晩年になるまで自分の家をもたなかった 孫文のためにカナダ在住華僑らが共同で買い与えたもの。軍閥混戦時代、広州を追われた孫文は1918年から 24年まで…続きを読む→中国近現代史観光ガイド

ちなみに1924年孫文が神戸で行った大アジア主義演説だが、これは、東洋王道を踏み外し西洋覇道へと邁進する日本への警鐘だったというのが従来の一般的な解釈である。しかし、近年じつはこれは自身への支援をためらう日本への嫌みであり、同時に新たな支援者となったソ連へのリップサービスであったという説が現れてきている。

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詭弁と火病の民 論理的な議論ができない韓国人 あの戦争を引き起こしたのはアメリカです。アメリカ人として日本人に謝罪します。

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