特攻隊を描いてミリオンセラーとなった百田尚樹原作の小説『永遠の0(ゼロ)』。この作品は、作者のNHK経営委員時における発言も相まって一般に右翼的な傾向をもつものという評価がなされています。しかし、私からみれば、そのような評価はまったくの的はずれです。
というのも、この作品の底流にあるのは一般的な評価とは逆に左翼的な史観だからです。いや左翼的というより、むしろ「お花畑的」とさえいえるかもしれません。なかでも象徴的なのが、主人公が病床にある同僚に語りかけるシーンで、主人公が口にした「戦争が終わったら何をしたい」という言葉です。すでに敗色が濃くなっていた時期であり、この「戦争が終わったら」という言葉は、あきらかに敗戦後を意味します。
歴史をきちんと調べた人なら納得していただけると思いますが、あの戦争は巷間いわれているように軍国主義者が暴走し、勝手に引き起こした戦争などではありません。欧米によって退路を断たれたあげく、座して死を待つよりはと日本人全員が決死の覚悟で立ち上がったまさに文字通り命がけの戦争でした。
*戦争の原因に関する議論についてはこちらもご覧ください→安保関連法案成立の陰で呵々大笑している世界の支配層
したがって、当時の日本人にしてみれば、戦争に負けるということはすなわち殺されること、もしくは他のアジア・アフリカ諸国と同様、奴隷としての境遇に置かれることを意味し、敗戦後にどう生きるかなどという話はそもそも仮定としてすらありえなかったはずです。

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にもかかわらず、この映画を含め、戦後制作された映画やドラマでは「戦争が終わったら何をしたいか」といった希望や夢がしばしば登場人物の口を借りて語られます。そしてその裏にはかならずといっていいほど「戦争を引き起こした張本人である軍国主義」に対する非難が隠されています。
これは巧妙な洗脳というものです。
戦後、たまたま寛大な処置がとられた事実をもって負けた方がよかったなどという声もありますが、それは無責任な後知恵というものです。一瞬先の未来も見通せない当時の人にとって、敗戦というのは間違いなく一切の希望を絶たれること、すなわち絶望を意味していました。そして過去、英米が有色人種に対して行った仕打ちを知る者にとって、それは至極当然な論理的帰結であったのです。
戦後の映画やドラマにしばしば出てくるこの「敗戦後の明るい希望」なるものは、軍国主義者悪玉説という嘘を補強するために連合国が持ち出してきたもうひとつの嘘にほかなりません。ここにあるのは、戦争を引き起こしたのがじつは自分らであったことを隠すため嘘の上にさらに嘘をぬりかためてつくった壮大な嘘の構築物です。
しかもこうした虚構はテレビドラマの筋書きばかりでなく、この社会のいたるところに巧妙な形で隠されています。私たちの周りにあるのは、私たちを一定の方向へ動機づけようとする意図をもった正体不明の洗脳者たちだといってもよいでしょう。私たちは、こうした虚構に騙されないよう、常に目を見張っている必要があります。
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