印象操作で歪められた日中間の歴史

中国

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中国の評論家・胡適は、『日本評論』一九三五年十一月号に寄せた「日本国民に訴ふ」という文章の中でこういっている。

「日本は『日中親善』をいいながらその一方で中国への侵略をやめない。満州だけでは足りず,華北にまで手を伸ばしている。もしここで日本が踏みとどまらなければ中国人民は挙国一致して日本に反攻せざるをえないだろう」。

一読しただけではいかにももっともな論であり、現代人もふくめ事情を知らない人が読めば、非はあきらかに日本側にあると判断するだろう。しかし、ちょっと待ってほしい。胡適はここで日中間のあつれきが満州事変によってはじまったという前提で論を進めているのだが、事実は少々異なる。

そもそも日中間のあつれきなるものは、満州事変以前から存在していたものである。そしてここで重要なのは、満州事変の直接のきっかけとなる最大の原因は張作霖時代から続く反日運動にこそあったというのが日本側の認識だということである。にもかかわらず胡適はそうした過去のいきさつを完全に無視した上で、あたかも日本がなんの理由もなくある日突然満州を侵略しはじめたかのように主張する。それは巧妙な印象操作というべきだ。

しかも問題なのは、こうした中国側の印象操作が21世紀のいまもなお続いていることである。そのことは、このところの尖閣諸島をめぐる中国側の態度をみてもわかる。いうまでもなく、日本側は中国の政治団体が上陸を強行するなど最初に中国側が手を出したため、やむなく尖閣諸島の国有化に踏み切ったという認識だ。しかし、中国側はこの日本の国有化こそがそもそもの対立のきっかけだと主張してはばからない。もちろんそれ以前の中国側の無法な行為についてはまったくの知らぬぞんぜぬだ(最近はNHKすら尖閣問題を取りあげる際、『日本の国有化をきっかけに~』と中国側のプロパガンダをそのまま日本国内向けにおこなっていることに注意)。

要するにこれは中国の伝統的な政治戦略なのである。小さな挑発を繰り返して相手が切れるのを待つ。切れたらそれを口実にそれまでの自分たちの非をすべて棚にあげ相手の非だけを誇張して非難する。同時代の人はある程度事情を知っているため、そうそうだまされはしないが、事情をしらない100年後の人はこのトリックにまんまとだまされてしまう。その結果、後世の人から中国は正しく、日本は悪辣だったと一方的に非難されることになってしまうのだ。

繰り返していうが、日中の対立なるものは満州事変以前からあったし、日本側からいえばその最大の原因は英米ソにそそのかされた中国側の反日運動と、舌の根もかわかぬうちに前言をひるがえすその謀略的で信用のおけない態度にこそあったのだ。さらにいえば、そうしたあつれきは、日清戦争以前どころか明治維新直後からすでにはじまっていたともいえる。その当時、日本と中国がどのような状況にあり、日本は中国にどれほどおおきな期待をかけていたのか、そして中国はどのようにその期待を裏切ったのか、つまりそこでどのようなボタンの掛け違いが発生したのか、われわれはそのあたりの歴史をもっとくわしく知る必要があろう。

そうすれば、われわれが教えられてきたここ150年にわたる日中間の歴史がいかに中国側の印象操作でもって歪められているかがあきらかになってくるはずだ。

 

 

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