トランプ政権が北朝鮮に対して「最大限の圧力」をもって核ミサイルの放棄を迫っている。核ミサイルを含む核兵器の開発をやめなければ金正恩氏の暗殺を含む武力攻撃をも辞さないと強く警告しているのだ。
ここで思い出されるのは戦前、米国が日本につきつけたハルノートである。
ハルノートは、大東亜戦争前夜の日米交渉においてアメリカのハル国務長官が提示した日本への最後通牒である。中国大陸にある日本の権益をすべて放棄せよと迫るものであり、事実上国としての独立を放棄せよというに等しい過酷な要求であった。退路を断たれた日本が開戦のやむなきにいたったのもそれが原因であった。
北朝鮮にしてみれば、今回のトランプ政権による核放棄要求もハルノートというべきものであろう。
国際社会でほとんど四面楚歌状態にある北朝鮮にとって核保有国であることは体制の安全と存立を保証する上で最後のよりどころである。その立場を放棄することは国の独立どころか国としての存立そのものを放棄するようなものだからである。そうである以上、今回の米国の要求はかつての日本がそうであったように到底のめるものではないだろう。
日本はかつてそののめない要求を前に「戦わざるも亡国、戦うも亡国。しかし戦わざるの亡国は精神の亡国である」(永野修身海軍大将)という思いのもと決死の覚悟で立ち上がった。
これに対して、今回の北朝鮮はどうでるのだろうか?
みたところ、現状では一歩も引くつもりはなさそうである。その意思表示でもあったのだろうか、金日成生誕105周年記念日である「太陽節」の翌日にあたる4月16日には失敗したとはいえミサイルを発射した。おりしもアメリカのペンス副大統領が北朝鮮問題への対応を協議するため韓国に向かっていた矢先の発射だ。これは「来るならこうしてやる」という威嚇以外のなにものでもないだろう。

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しかし、相手は中国でさえ膝を屈する超大国アメリカである。そんなアメリカに北朝鮮は本気で立ち向かうつもりなのだろうか? 正直なところその予測は筆者の手に余る。そこで、代わりといってはなんだが、ここではそのヒントとなりそうな手がかりを挙げてみたい。
手がかりとはなにか?
それは主体思想である。主体思想というのは、建国の指導者である金日成が唱えた北朝鮮の国家哲学であり、建国の理念でもある。具体的には「人間は自己の運命の主人であり、大衆は革命と国家建設の主人公である」とする考え方だ。
とはいえこういわれても、わたしたちからすればきわめて当たり前な考え方であり、べつにおおげさに持ち上げるほど目新しい思想にはみえない、というのが正直なところだろう。
それもそのはずで、これを読み取るには、それが生まれてきた歴史的背景を知る必要があるのだ。それを知ることではじめてそこに隠された深い意味が浮かび上がってくるのだ。では、その歴史的背景とはなにか?
事大主義である。事大主義というのは、そのときどきの力関係で付き従う相手を変える朝鮮独特の外交哲学である。中国と日本という大国のはざまにあった朝鮮は、その長い歴史においてこの日和見主義的な事大主義を外交政策の基本としてきた。この事大主義が象徴するように朝鮮人は自らの運命を自主的に切り開くよりも、他人におもねることによって自らの生き残りをはかってきたのだ。
こうした主体性のない民族的性向への反省とその否定から生まれてきたのが、主体思想である。だからこそ、自主性というものがそれほど重要視されているのだ。その意味で主体思想は、かつての事大主義への決別宣言であるといえるだろう。
しかし、今回、アメリカからつきつけられた「核兵器放棄」という要求はある意味、この主体思想への挑戦ともいえる。なぜならそれは自主独立路線を放棄しろというに等しいものだからだ。すなわち今回、米国の要求を受け入れるということは北朝鮮にすれば自らの安全保障を放棄するばかりでなく、その建国理念である主体思想を放棄するも同然の行為といえる。そしてそれはとりもなおさずかつての屈辱的な事大外交への回帰をも意味する。
この究極の選択を前に北朝鮮はどう出るのか? 主体思想に基づき強国の圧力を跳ね返し、自主独立の道を貫き通すのか? それとも強国に進んで膝を屈する伝統的な事大主義へと回帰するのか?
答えはまもなく北朝鮮自身によって出されるだろう。
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