満州が中国領土であるならば大英帝国はインド領土である
姉妹サイト「歴史ニンシキガー速報」からの転載です。
中国政府による主張の矛盾
インド独立運動と辛亥革命を比べてみよう。
かつてインドはイギリスの植民地だった。
やがてガンジーらによる独立運動が始まった。
苦難の末、1947年にインドは独立を勝ち取った。
ここでちょっと想像していただきたい。突然、インド政府がこう宣言したらどうだろう?
イギリス本国をはじめ中東およびアフリカの一部、マレー半島、オーストラリア、ニュージーランド、そして北アメリカまで、かつて大英帝国だった領土はみなわれわれインドのものだ!
当然ながら、「何馬鹿なことを言ってるんだ!?」とインド政府は、世界中から袋叩きにあうだろう。しかし、これとまったく同じ馬鹿なことが100年前、実際に起こったことをあなたはご存知だろうか?
それは1911年に中国で発生した辛亥革命である。
20世紀初頭。
中国は清朝によって支配されていた。
清朝はその300年前、万里の長城を越えて侵入してきた満州族によって建てられた征服王朝である。
満州族は、本来の中国人である漢民族からすれば異民族である。
要するに、漢民族は17世紀以来、満州族による植民地支配を受けていたのである。
清朝はその最盛期、満州からモンゴル、ウイグル、チベットまでも含む広大な大帝国を築き上げた。
しかし、その後は衰退の一途を辿る。
アヘン戦争。
列強による中国分割。
漢民族による満州族から独立運動だった辛亥革命
やがて、1911年、孫文らに漢族独立派による辛亥革命が勃発する。
この辛亥革命は、満州族支配からの独立を目指す漢民族による民族独立革命だった。
それは革命の指導者・孫文らが掲げた「駆除韃虜」「滅満興漢」というスローガンからもみてとれる。
ということは辛亥革命は、旧清朝領土である満州、モンゴル、ウイグル、チベットを切り離し、漢民族だけの独立国家を作ろうという運動であったはずだ。
実際、清朝が倒れるとモンゴル、ウイグル、チベットはそれぞれ独立を宣言した。
モンゴル独立宣言 1911年11月30日
チベット独立宣言 1913年1月11日
東トルキスタン・イスラーム共和国建国宣言 1933年11月12日
彼らは、満州族の王朝である清朝には服していたものの、いまやその清朝は存在しない。
ましてや清朝時代、同じく被支配民族であった漢民族に服従するいわれなど微塵もなかったのである。
変節した革命家たち
ところが革命を成就させた漢人革命家たちは、なぜか清朝を打ち倒しただけでは満足しなかった。
彼らはそれまでの「駆除韃虜」「滅満興漢」というスローガンを突然「五族共和」にすりかえた上、旧清朝領土であった満州、モンゴル、チベット、ウイグルも自らの領土だと宣言し、その版図に組み込んでしまったのである。
これは明らかな逸脱である。これはもはや民族独立革命などではない。明白な他国への侵略である。
革命の名を借りた侵略戦争である。
革命詐欺である。
もちろん、辛亥革命が伝統的な易姓革命のひとつだと主張するのであれば、それはそれで理解できないわけではない。
しかし、もしそうであれば中華民国は、民族自決あるいは国民主権といった近代的な理念から生まれた近代国家ではないということを自ら宣言することになる。
同じ事はその中華民国の領土を民主的な手法によらず暴力で簒奪した現在の中華人民共和国にもいえる。
中華人民共和国はいまこそここをはっきりさせなければならない。
自分たちの国が前近代的な封建王朝なのか、それとも近代的な理念を体現すべき真の「共和国」なのかを。
中国の独自性などという曖昧な言葉でごまかし続けることはもう許されない。
もしごまかし続けるならば、われわれは中華人民共和国をその実態通り、古代から連綿と続く封建王朝国家のひとつとして扱うことになるだろう。