満州事変は日本による一方的な侵略などではない。忘れてならないのは、そこに至るまでには中国側からの執拗な挑発やソ連および中国共産党による赤化の脅威などさまざまな要因があったことだ。
なかでも当時の日本がもっとも警戒していたのは赤化への脅威である。1930年11月に発覚した「共産党による満州ソビエト政府樹立計画」もそのひとつだ。以下、この事件に関する当時の新聞資料を参考までに貼っておく。
神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 思想問題(5-113)
京城日報 1931.3.21 (昭和6)
満洲の主要都市を暴動化の大陰謀
撫順を中心とする中国共産党二十四名検挙さる
【奉天発特電】昨年十二月十一日の全国ソビエット代表大会前後を期し撫順を中心に奉天、大連、ハルピンに一大暴動を起しソビエット政府を樹立せんとする陰謀が撫順炭坑支那坑夫を中心に計画中撫順日本警察の探知する所となり中国共産党撫順特別支部員李賀年等一味二十四名を逮捕した事件は新聞記事掲載を禁止中の処二十日正午を期し解禁となった
挙動不審の支那人 中国共産党の一味と判明す 事件発覚の手がかり
事件の起りは昨年十一月九日午後六時十五分撫順警察署で挙動不審の支那人を捕え取調べた処共産党宣伝文及証拠書類多数を所持しており中国共産党の一味なることを探知し得たのでこれに端緒を得、中国共産党特別支部の巣窟に踏込み頭目と目さるる李得禄外二名を逮捕し引続き李賀年等撫順炭坑内に散在する共産党員二十一名を翌朝までに検挙するに至った
戦慄すべき大暴動 地方蘇政府樹立、主力官民暗殺等 官公衙の破壊陰謀
彼等の大暴動計画は左の如く戦慄すべきものである、即ち満洲に設置されている(場所一定せず)満洲省委員会は中国共産党中央党部の指示に従い撫順、奉天、ハルビン、大連の四大都市を暴動化の中心として十二月十一日の全国リビエット代表大会前後を期し中央党部と相呼応し全国一斉に事を挙ぐべく撫順特別支部はその際撫順炭坑における支那坑夫を煽勲して賃銀値上げ待遇改善を要求し同盟罷業に終り直ちに大暴動を敢行して紅軍を組織して撫順八大炭坑発電所機械工場、オイルセール工場等を破壊し日支両国の主要官衙交通通信機関を破壊し及び両国の主力官民を暗殺し総べての資本機関を奪取し彼等の手に収め撫順を占領して撫順に地方ソビエット政府を樹立せんとするものであるしかして撫順特別支部は昨年八月李得禄、李賀年、趙金山等によって組織されたもので中国共産党満洲省委員会に直属し又彼等は中華総工会撫順炭坑会なるものを組織していたもので李得禄は元南方で入党し支那官憲に逮捕されたがのがれて奉天に潜入し趙金山等とこれ等の組織的計画を企てたもので先般北満間島吉敦方面で行われた放火、鏖殺、官公衙通信機関等の破壊事件は皆彼等一味の行為であるなお彼等より押収した証拠書類は精密を極め化学的摘出方法によって巧に同志間の連絡を計っていたものである

漫画 日中戦争は中国共産党が仕掛けた謀略だった!
念のためかみ砕いて説明しておく。
1930年11月9日、満州の撫順警察署が挙動不審のシナ人を逮捕した。調べたところ中国共産党の一味であることが発覚。さらに追求したところ満州で暴動を起こし、その勢いを駆って満州にソビエト政権を樹立しようという計画が背後にあることが判明したという内容だ。
記事にはそれ以上、詳細な分析はないが背景にあったのはおそらく当時中国共産党を牛耳っていた李立三による急進的な革命路線だったのだろう。当時は世界を襲った大恐慌に加え、蒋介石の軍事的統一への反発から起こった中原大戦という国内外における混乱の時期である。それを革命のチャンスととらえた李立三は各地で暴動を引き起こすよう全国の共産党員に指示。それを起爆剤として一気に中国全土をソビエト化しようとたくらんでいたのだ。
もちろん、計画は失敗に終わったが、万が一成功していたら‥そして満州までもソビエト連邦に組み込まれてしまったら‥と肝を冷やした日本人は多かっただろう。そしてそれは後に満州事変を引き起こした関東軍の将校たちも同じだったはずだ。
忘れてならないのは、満州事変の背景にはそうした日本側の強烈な危機意識があったことだ。あの当時、日本にとって満州事変はそれ以外に選択肢のない唯一残された最後の方策であったのだ。すなわち、満州事変は不可避であり、歴史の必然であったのだ。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10071239&TYPE=HTML_FILE&POS=1
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