南京事件肯定派の断末魔から見えてくるその正体

南京事件肯定派の断末魔から見えてくるその正体

南京事件をなんとしても戦争犯罪にしたがっている肯定派はいま最後の砦として法廷論争に持ち込んでいる。幕府山事件などの捕虜殺害が合法だったか、不法だったかという法律論のみを論拠に抵抗を続けているのだ。しかし法律論争にした時点で、それを日常一般的な意味での戦争というカテゴリー内で扱うことはできなくなるだろう。必然的に不法行為が頻発するのが戦争というものの本質だからだ。だからこそ戦争は間違いだと非難されているのではないのか?

彼らの偽善性が露わになっているのはまさにその点である。本来、非難するべきは戦争内の個別の事件ではなく、戦争そのものであるはずだ。実際、肯定派が日本を非難するのは、そこに「日本が戦争という間違ったことをした」という大前提があるからだ。しかるにそうした戦争自体の違法性を問うことなく、その一部における個別違法性のみを問うことは大枠としての戦争を肯定しているととられても仕方がないだろう。

戦争そのものは合法だが、侵略戦争は違法である、というのであれば、それが侵略戦争だったか否かをまず厳密に問うべきだろう。あるいは侵略戦争でなかったとしても戦争犯罪は戦争犯罪だというのであれば、南京事件を非難するのと同じ声の大きさで原爆投下や東京大空襲をも非難すべきであろう。なのに、原爆投下や東京大空襲については棚上げしておきながら、南京事件や慰安婦強制連行をはじめ物的証拠が皆無な、それも実際にあったかどうかさえ疑わしい事件ばかりしつように槍玉に上げるのは一体なにゆえなのか?

その点、戦争の悲惨さに焦点を当て、戦争反対を強調した一昔前の左翼はまだ誠実だった。彼らの目的は過去における戦争の悲惨さを強調することで将来の戦争を防ぐことにあったからだ。

しかし、今現在、法廷論争に逃げ込んでいる南京虐殺肯定派が目的としているのは、将来の戦争を防ぐことなどではない。たんに日本を貶めること、それも永遠にそうすること、さらに恨みを増幅させ、民族間の対立を煽ることーーがその目的である。その意味で彼らが「肯定」しているのは南京虐殺という不確かな事件の存在ではない。じつのところ彼らが本当に肯定したがっているのは将来、再びどこかで戦争や虐殺事件が発生することである。しかも彼らはそれを歓迎さえしているのだ。

その予兆ともいえるのが、近年、中国の一部でささやかれている「東京虐殺」という言葉である。

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